フィリピンクラーク基地
クラーク基地と言う名前は知ってますか。
戦争中はここから神風特攻隊の第一陣が出たところです。
戦後アメリカ軍とフィリピン軍が共同で使用してました。
共同と言ってもフィリピン軍にはジェット戦闘機なんてほとんど無いですから、
アメリカ空軍専属に近いかたちだったと思います。
私が最初にクラーク基地に行ったのは、80年代だったと思います。
この時は基地の中に一般人は入れませんでした。
昔の妻がここの山の中の出身で、ここに耕作地を持ってました。
戦争中に接収されたものがそのままの状態で続いていたためです。
そこでカモーテを作ってました。
土地が痩せていて痩せっぽちのカモーテしか出来ませんでした。
そこに今ではSMを始め外国企業や免税店、ホテルなどが沢山出来ています。

でもここの鉄条網は昔のままです。
いまSMがある辺りには、PXがありました。
そこに基地のアメリカ人が買い物に車で来ていました。
それを鉄条網越しに眺めていたものです。

いまそのときのアメリカ人はいません。
前は中にいた外国人が、いまは外にいます。
鉄条網はありませんが、以前鉄条網越しに眺めていたときと何にも変わってません。
地元に暮らすフィリピン人は、じっと眺めているだけです。
いつまでたってもチットモ生活はよくなりません。
今ではカモーテも作れません。
戦争中はここから神風特攻隊の第一陣が出たところです。
戦後アメリカ軍とフィリピン軍が共同で使用してました。
共同と言ってもフィリピン軍にはジェット戦闘機なんてほとんど無いですから、
アメリカ空軍専属に近いかたちだったと思います。
私が最初にクラーク基地に行ったのは、80年代だったと思います。
この時は基地の中に一般人は入れませんでした。
昔の妻がここの山の中の出身で、ここに耕作地を持ってました。
戦争中に接収されたものがそのままの状態で続いていたためです。
そこでカモーテを作ってました。
土地が痩せていて痩せっぽちのカモーテしか出来ませんでした。
そこに今ではSMを始め外国企業や免税店、ホテルなどが沢山出来ています。

でもここの鉄条網は昔のままです。
いまSMがある辺りには、PXがありました。
そこに基地のアメリカ人が買い物に車で来ていました。
それを鉄条網越しに眺めていたものです。

いまそのときのアメリカ人はいません。
前は中にいた外国人が、いまは外にいます。
鉄条網はありませんが、以前鉄条網越しに眺めていたときと何にも変わってません。
地元に暮らすフィリピン人は、じっと眺めているだけです。
いつまでたってもチットモ生活はよくなりません。
今ではカモーテも作れません。



